3月12日以来3ヵ月ぶりの映画館での映画鑑賞。
1日に1回だけの上映で
いつ終わってしまうのか分からないので
思い切って出かけてきました。
劇場は豊山にある
ミッドランド小牧空港です。
朝10:20上映なので
駐車場も混む前に屋根付きの場所に駐車できました
映画館はまだまだ空いていて
ソーシャルディスタンスを保つために
座る席は約半分に抑えられているようで
私は前から後ろ目の真ん中の席を選び
この列には一番端と
斜め前と斜め後ろにお客さんが座っただけの
過ごしやすい環境でした。
会場全体では20〜30名ほどでした。
Fukushima50 の50の意味も知りたくて
又してもパンフを買ってしまいました。
Fukushima50
あの日、原発内に残り戦い続けた50人の作業員たちを
世界はFukushima50”と呼んだ(パンフレットより抜粋)
この映画は
日本中の方たちに観てほしい映画でした 私はずっとずっと泣きっぱなしでした。
こうやって職務を全うした方たちがいたので
日本は未曽有の大事故から復興できたのが
よ〜く分かりました。
当時新聞で色々詳しく報道されていましたが
専門的なことはトンと分からず(映画の中でも分からない部分もありましたが)
こんなに凄い大変なことだった ということは
この映画を観て分かった次第です。
パンフレットより
原発事故の真実に迫ったノンフィクションを、どのように映像化するか。
かの震災が起こした甚大な被害や、今なお問題が続く被災地住民の現在の状況・・・
それらを思えば、映画化に至るまで並々ならぬ高い障壁があった。
2011年から9年を迎える今だからこそ語るべき❝風化してはならない事実❞と
3月11日以降の福島第一原子力発電所で起きた❝後世に伝えるべき事実❞。
制作陣はこの二つの事実を伝えようとする志で一丸となり、映画化に踏み切った。
原作 門田隆将(かどたりゅうしょう) 作家・ジャーナリスト (抜粋)
〜ほかにご感想は?〜
日本のメディアは、原発の中で何が行われいたのかということより
原発の是非論という主義・主張に立脚してい、事故報道を展開しました。
しかし、外国のメディアは現場に残って戦った人々に目を向け
その人たちをFukushima50”と名付けました。
私は、ジャーナリズムのあるべき姿をそこに感じました。
事実にこだわる外国メディアは、あくまで「現場」そのものを見ようとしたからです。
内部の戦いが世界の人々に注目されたのはそのお陰です。
私は事故から1年9か月のちに原作となった『死の淵を見た男』を刊行しましたが
それは徹底的に現場の真実のこだわったものです。
多くの外国メディアから取材を受ける立場になったとき
彼らが知りたいのは「あの状況下で、なぜ日本人は残る”ことができたのか」ということに
尽きていました。私が「貴国の人は残って戦うことができませんか?」と聞くと
「とても無理です」と答えるメディアが多かったですね。その中で、フランスのメディアは
「ドイツ人なら残るかもしれない」と言ったのが印象的でした。
福島の人たちは、それだけ困難なことを成し遂げました。
そのことを、一人でも多くの日本人に知ってほしいです。
〜本作をご覧いただいたお客様にメッセージを〜
東京五輪・パラリンピックの聖火は福島から全国に出発します。
福島はここまで復興しました。日本を救った福島が、ここまで復興しました。
日本を救った福島が、なおかつ、あの被害にも負けなかった。
聖火のスタートは福島は負けなかったぞ”という全国へのメッセージだと思います。
この映画は福島への感謝だし、日本人が福島から受け取らなければならない
メッセージだと思います。
この映画で、日本中の人々に、福島への同情ではなく、感謝を持っていただけたら
本当に嬉しいです。
逆に福島の方々には、自分たちが日本を救ったという」 つよい気持ちと
放射能汚染にも負けずにここまで復興したことへの 誇り の両方を
持って欲しいと願っています。
私はコロナでオリンピックが延期になった時
もうオリンピック開催はむりだろう などと思ってしまっていましたが
そのことは謝ろうと思いました。
大きな利権も絡んでいるので
難しい話ではありますが
この趣旨で開催されるオリンピック・パラリンピック
(確か福島復興もスローガンの中にありましたね)
縮小されてもいいので実施され
福島からの聖火リレーを見てみたいと強く思っています。
今映画館に足を運べなくても
DVDが発売されると思いますので
どうか この映画をお宅でもご覧ください。
私たちが知らなくてはいけない現実です。
今日の歩数 3857歩
本日もありがとうございました。
posted by chicchi at 23:57| 愛知 ☔|
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