2016年05月31日

ごめんね おじいちゃん 

  1. 父のことを思い出す。

    亡くなって早や10日以上がたってしまった今思い出す。

    背骨を圧迫骨折をして入院先の病院から提携の梅森の老健に入り
    そのまま今の老健に移動して約1年。
    そこで亡くなった。


    梅森の老健は車で30分程かかるのと
    母が生きていたので
    顔見せに行けたのが週に1〜2回。


    今の老健は車で5分の所にあるので
    行こうと思ったら毎日行けたはずだ。

    でも私は行かなかった。

    初めの頃は
    昼間でも4人部屋の自分のベッドで寝ていたが
    昼夜逆転の生活になってしまったので
    昼間は食堂に集められて時間を潰す毎日になった。

    思い出してみると
    梅森の老健の時には「家に帰りたい」と盛んにいっていたけれど
    「今の状態では、一人暮らしは無理だから・・」と
    説得を続けていたら
    徐々に認知症が進み「家の帰りたい」という言葉は
    聴かなくなってホットしていた。

    でも私の中には
    最後は家に引き取って 看取りたい との思いをもっていたが
    それは叶わなかった。

    何故だろう??

    父は糖尿病だったので
    食事制限(カロリー)があり
    母がお世話になっていたディサービスの所に
    お願いするのは、色々無理だろう と判断したことと
    我が家でのカロリー制限も難しいのでは?と
    娘と話し合っていたこと。

    母との暮らしは2年半。

    その内の1年半は娘が大学生と就職先から戻ってくれていたので
    母の介護が出来たのだという思いと
    母が亡くなり、娘が仕事に出かける様になり
    来月から夜週2回の学校に通うことになっているので
    母のときの様な生活が難しいこと。

    などなどこちらサイドの理由付には困らない。

    今考えると
    6日に父の意識が亡くなり
    併設の病院に入院した時が
    自宅に引き取るチャンスだったのかも知れない。

    「血中のナトリウム値が以上に低いので
    ナトリウムを補充する点滴をしましょう」 と担当医に言われてときに
    「延命ではありませんよね?」とお聴きして
    「良くなるための治療です」

    看取り の本を何冊か読み返してみて
    点滴は痰を増やす という箇所にハッとした。

    父も痰が絡まって苦しそうだったし
    去年入院して時には
    昼間起きていたのが
    今回はいつお見舞いに行っても寝ていた。

    亡くなった時の診断書には 脳梗塞 と書いてあるけれど
    意識を失ったときから
    父は死ぬ準備をしていたのではないだろうか?

    老衰 として
    点滴をしなければ
    苦しまず自然に枯れていったのではないだろうか?

    結局病院で死なせてしまった。。

    引き取りたい・・・

    妹たちの反応を恐れてもいた。
    反対されるだろうって。

    だからせめて毎日顔出しをすれば良かったのに
    入所者さんが集められた食堂にいる父に会いに行くのに
    チョッと勇気がいる という理由からしなかった。


    4月のある日
    娘と一緒に会いにいった時の帰り際に
    泣き顔になった父の姿を思い出して
    今私は泣いている。

    最後の望みを叶えてあげられなくてごめんね。
    おじいちゃん。

    そのことで
    今とても後悔している。




posted by chicchi at 00:19| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 悲しみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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