2019年01月30日
洗髪
2019年01月29日
二重国籍の大坂なおみが日本登録で出場する理由とは
全豪オープンを制し優勝トロフィーにキスする大坂なおみ(撮影・PIKO)
<テニス:全豪オープン>
◇26日◇メルボルン・メルボルンパーク◇女子シングルス決勝
◇優勝賞金410万豪ドル(約3億3000万円)
大坂なおみは北海道出身の母・環さんと
ハイチ出身の父フランソワさんとの間に大阪で生まれ、3歳で米国に移住した。
二重国籍で、日本語は話す方が苦手。
それでも、日本登録で出場し、「日本人」として初の快挙を成し遂げた。
大坂が日本登録で出場する理由とは?
大坂が準決勝を戦う前、1人の米国女性記者が「彼女は本当は米国人よ」と言ってきた。
その記者は、昨年10月のツアー最終戦WTAファイナルの時にも、
米国の元世界女王キング夫人に「なぜ大坂を日本に持って行かれたのか」とかみついていた。
3〜4歳時、生まれた大阪から米国に移住した大坂は、日本の記憶はおぼろげだ。
米フロリダ在住で言葉も英語の方が流ちょう。
日米の二重国籍なため、米国記者が、米国を選んだ方がいいと思うのも当然かもしれない。
ならば、なぜ大坂一家は、なおみをいまだに日本登録にしているのか。
13年9月の東レ・パンパシフィック大会の時だった。
日本テニス協会の女子代表コーチだった吉川真司氏(40)は、
日本登録で出場していた選手をくまなくチェックしていた。
予選1回戦で敗れたが、1人の初めて見る選手に、目がくぎ付けになった。
それが15歳の大坂だった。
「すごい才能だと思った」。
すぐに当時の女子代表監督だった村上武資氏、植田実強化本部長に大坂の存在を報告。
それ以来、日本に来たときは、
味の素NTCで練習できるように取りはからうなど、地道な支援を続けてきた。
吉川氏も代表コーチとして大会に派遣され、大坂が出場していれば必ずコンタクトを取り続けた。
大坂は米国テニス協会のジュニア大会に多く出場しているが、目立った成績は残していない。
米国では完全に埋もれた存在だった。大坂一家は米国協会に支援を申し込んだが、
大して取り合ってもらえなかったという。
しかし大坂が16年全豪で予選を勝ち上がり本戦で3回戦に進むと、
米国協会は強烈なアプローチを仕掛けてきた。
日米争奪戦の勃発だった。米国は女子代表監督が自ら乗り出し、
多額の支援を約束したと伝えられる。
だが大坂の父フランソワさんは、無名の時から娘を支援し続けた日本の恩義を尊重したという。
だからこそ、いまでも大坂は日本で登録し続けるのだ。
吉川氏は「僕は代表コーチとして手助けしただけ。コーチはバイン氏」と遠慮する。
確かに、あくまで大坂の専属コーチはバイン氏だ。
彼の手腕が卓越した大坂の才能を開花させたことは間違いない。
母環(たまき)さんが、日本の文化や料理を娘に伝え続けなければ、
大坂自身が「私のメンタリティーは日本人に近い」と認識することもなかっただろう。
ただ、吉川氏がいなければ、大坂が「日本人」として
4大大会の優勝杯を掲げることがなかったのも事実だろう。【吉松忠弘】
◆吉川真司(よしかわ・まさし)1978年(昭53)1月31日、京都市生まれ。
父の影響で12歳でテニスを始める。
亜大時代の00年全日本学生シングルスでベスト4。
卒業後、実業団でプレー。
07年に引退しコーチに転向し、
12年から日本テニス協会の女子ナショナルコーチに就任した。
協会公認S級エリートコーチ。
お母さんは日本人でお父さんは外国人ですが
日本にいた時に、英語を教えていた と記憶しています。
そんなこともあって
日本で受けたことを大切に思って下さっていたのですね!(^^)!